プロボクサーから起業家に! 「誰もが未来を描ける世界」を実現すべく始動「workeasy株式会社」

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workeasy株式会社社長 佐治浩一郎氏 プロフィール

1988年、東京都新宿区出身。中学生のときにボクシングを始め、高校3年生でプロテストに合格して引 退。フリーターを経て光通信に入社。2011年の東日本大震災を機に、福岡に拠点を出すための責任者 として福岡へ。25歳で退社して起業。株式会社ライジングアドバンス代表取締役としてデザインソー スをリリースし、2019年7月に現在の社名に変更。

たまたま始めたボクシングで「約束を果たす」ためプロに

 

― 佐治さんは東京のご出身ですね。どんな子ども時代でしたか?

僕は東京都の西新宿で生まれました。かなり都会で住んでいる子どもが少なく、小学校は全校生徒が86人。僕の学年はたった8人だったんですよ。それから小学3年生のときに両親が離婚して、母と姉と3人で板橋区に引っ越しました。

― へー、都会すぎて子どもが少ないなんて、すごいですね。何か好きなことはありました?

中学1年のとき、ボクシングに出会いました。当時、TOKIOが司会を務めるテレビ番組「ガチンコ」で、不良をプロボクサーに育てる「ガチンコファイトクラブ」というコーナーがあって、ロケで使っている沖ボクシングジムがうちのすぐ近くだったんです。TOKIOやクラブ生に会ってみたいというミーハーな気持ちで見学に行ったら、面白そうで入会しました。中学生の頃は、世界チャンピオンになりたいと思ってましたね。そして高校3年生のときにプロボクサーになりました。

― プロボクサーってどうやったらなれるのでしょう?

17歳からプロテストを受けられます。

― ボクシングに打ち込んだんですね、不良にもならず。

不良になるヒマもなかったですね。高校には行ってましたが、勉強は興味がなくてボクシングとバイトの日々。ファミリーレストランのバイトが一番長くて楽しかったです。

― 友達は?

友達が欲しいと思っていなくて、本当の友達は数えるほど。ただ、ジムに行くと仕事をしながらプロボクサーをしている20代の人たちがいて、一緒に練習したり話したり、試合を観に行ったりするのがとても楽しかったです。いろんなことを学びました。「努力って全く報われない」と学んだのもボクシングでした。

― えっ、どういうこと!?

この試合に勝ったら日本タイトルマッチに挑戦できる、という試合をする人がいたんです。ありえないほど練習して、最後はフラフラで。なのに、試合が始まって30秒で負けた…「ああ、努力は報われないな」とそのとき本気で思いました。一方で、そんなに練習してない人が日本チャンピオンになりました。

― それはどうして?

才能ですよ、たまたまボクシングIQが高かったから。現実を悟りました。僕はそこまでの熱意がないし、世界チャンピオンには絶対なれないと思いました。

― プロになった後に思ったんですか?

いえ、プロになる前から。実は17歳のとき、ある出来事がありました。すごくお世話になった、バイト先の11歳年上の先輩が亡くなってしまったんです。彼女は「プロボクサーになった僕の姿を見てみたい」「リングで戦う僕を応援したい」と言ってくれていたのに、当時の僕はちゃらんぽらんで大した練習もしてなくて…。結局、彼女は亡くなってしまった。非常に大きなショックを受けました。

― 失恋?

かなり年上でしたし、そういう関係ではないけど、好きだったのかもしれません。とにかくショックで、あれほど大きな後悔をすることは、今後の人生においてもないと思います。そのとき、「自分は彼女との約束を果たせなかった、なんてダサいんだろう」と思い、プロボクサーになることだけが僕の目標になりました。それしか考えていなかった。

― 映画になりそうな物語ですね。

それからプロテストに2回落ちて、受かるまでの1年をどう過ごしたのか、あまり記憶がありません。
ただ、当時は学歴社会が全盛で、大学に行かないと終わったと言われたりして、ボクシングはもちろんそういうまわりとの戦いもあって、本当に孤独でした。唯一の理解者は亡くなっていたし…。テストに2回落ちたときはさすがに心が折れて、母親に「ボクシングをやめたい」と話すと、「やめていいけど、ボクシングで失ったものはボクシングでしか取り返せないよ」と言われたんです。そのときは意味が分からなかったけど、高校生で時間もあったから、もう1回だけと奮起。そして3回目でようやく受かりました。

― 素晴らしい。

受かった後、高校を卒業してデビュー戦へ。自前のパンツに彼女の名前を入れてリングに立ち、自分の名前がコールされたときに「ようやくここまできた」「夢が叶った」と感慨深く、その1戦だけでボクシングをやめました。6年やって、飽きたというのもありましたしね。

― ご自分なりに結果を出して、潔い引き際ですね。

バイトから起業して、ひとりでがむしゃらに働いた

 

― ボクシングをやめて、今度はどんなことを?

大学には進学せず、2年間はテレアポや居酒屋、バーなどいろんなアルバイトをしました。そして、そろそろ就職しようと21歳で光通信に入社。介護事業者向けにシステムを導入するような業務を担当しました。最初はなかなか売れなかったのですが、僕はボクシングのプロテストに2回落ちた経験があるから、初めはうまくいかないもので、繰り返していけばアジャストできると分かっていた。想定通り、数か月でアジャストしてすぐに昇進。グループ会社を転々とした後、2011年の東日本大震災がきっかけで福岡に拠点を進出する際、責任者として赴任しました。本当は会社に飽きてきて、やめようかなと思っていたときに「福岡に行ってみたら」と背中を押してくれた先輩がいて、彼ももう独立されていますが、今でも交流があり尊敬しています。

― いい出会いがあってよかったですね。

はい、感謝しています。そして、福岡では中国と日本をつなぐような業務に携わり、2年で退社。福岡で就職するか起業するか悩みました。

― 東京に戻るという選択肢は?

なかったですね。福岡が好きだったし、僕は福岡で自分がどこまでやれるかまだ何も証明していないから。まわりに対してではなく、自分自身にですね。起業するか悩んでいたとき、たまたま東京の六本木の駅のホームで、前を歩いていたふたりの会話が聞こえました。おそらく上司が部下に「選択に正しいも誤りもなくて、下した選択を正しかったと思える行動があるかないかだけ」と言っていて、「なるほど、確かに!」と思い、起業することに決めました。

― 正しいとか間違いとかはない、その通りですね。

自分で決めるものだと思い、2014年3月にひとりで株式会社ライジングアドバンスを創業しました。
当時は会社の登記に30万円ほどかかるから、すぐ稼ぐために薬の臨床試験を受ける治験のアルバイトをしました。20日間入院して30万円くらい。2013年12月24日クリスマスイブは病院のベッドの上で過ごしました(笑)。

― そのときはおいくつで。

25歳です。会社を辞めてから創業するまで、お金がない時期はアルバイトもしました。まさか25歳で750円の時給で働くとは思わなかったですよ。16歳で初めてのアルバイトは、モスバーガーで時給800円だったので、25歳で下がっちゃったと(笑)。
それから知人に借金して、光通信の商材をもとにビジネスを始めました。福岡は通販が盛んなので、電話代が安くなる方法を導入したりして、ストックビジネスだから今でも何もしなくてもお金が入ってきます。ただ、積み上げるのには時間がかかり、最初の半年は売上の粗利が40万円。週末は宮崎まで行って、大学周辺のアパートを訪ねて学生にネット回線をすすめて、1日1~2件契約して福岡に帰る、みたいなことをひとりで毎週やっていました。今、考えると結構辛かったですね。まわりの同世代や少し上の人は、何十億の売上があったり、数十人社員を抱えていたりして、「なんでオレはこんなことしてるんだろう」「自分は社会に置いていかれているんじゃないか」「必要とされていないんじゃないか」と悩みました。でも、27歳で結婚する前に大きな案件が決まり、軌道に乗りました。

自らの悩みから生まれたビジネスで、人と人をつなぐ

 

― それからデザインソースをリリースされたのが2018年ですね。

そうです。僕にはコピーやフレッツなどあらゆる商材があって、クライアントの何でも屋みたいな立ち位置でした。そのうち「ホームページ作らないの?」「チラシできないの?」とか言われるようになり、できないのに「できます」と答えて、知り合いの制作会社に投げていました。それなら会社でデザイナーを雇って制作部門を作ろうと思ったけど、どうやって探したら分からないし、そもそも週5日のフルタイムは必要なくて、週2日すごい人が来てくれたらいいなと。これって、もしかしたら他の人たちも悩んでいるんじゃないかなと思って始めたのが「デザインソース」。デザイナーを会社に派遣する事業です。

― それは大事な視点ですね。自分のニーズは、自分だけじゃなくて世の中の人たちが必要としているんじゃないかというのは、意外と当たってますから。

デザイナーという仕事は、フリーだとなかなか安定しない。でも、週2日働いて月20万円あれば安定して、残りの時間は自由に使えるので、デザイナーにも会社にもいいと思い事業をスタートしました。これまで100人以上のデザイナーを面談してきました。

― このビジネスは、どうやって収益を出しているんですか?

デザイナーは週2日で月20~25万円で企業さんに提案して、契約するとデザイナーから20%もらっています。これも毎月なのでストック型です。

― 素晴らしい、ビジネスを考えるのがお上手ね。

ありがとうございます。100人くらい面談する中で、かつて僕が独立して感じていた孤独感をほとんどの人が抱えていると気付きました。それに、フリーでも技術や人間性を成長させられる場を作りたいと思い、勉強会を始めました。福岡を拠点にロゴやデザインを手がけられている梶原道生さんに講師をお願いして、2か月に1回。うちとしては赤字だけど、勉強会の後に懇親会もしていると、デザイナー同士がつながり仕事を発注し合ったりするような新たな世界ができて、素敵だなと思いました。

― コミュニティができたんですね。

これはウェルビーイングと呼ばれる21世紀型の市場で、フィジカルなコンタクトが薄れることで感じる孤独や倦怠感は、コロナに関係なく前からあった課題なんです。年間450兆円くらいの市場で、年10%くらい伸びているそうです。

世界をつなぐオンラインコワーキングでまだ見ぬ未来へ

― 昨年7月、社名を「workeasy」に変更して、新たな事業を立ち上げられるそうですね。

自分の人生を振り返ってみると、17歳であの彼女に出会ってなければ今の自分はないと断言できます。彼女から人をひとつの側面で判断することなく、いいところを見出して尊敬するという人間としての基礎を教わり、それからいろんな経験をしました。人は誰しも長所や欠点があって、互いに補い合える人に出会えれば、それだけで豊かになれる。人は人と出会うことでしか前に進めないと思っています。

― 私もそう思います。

どこにいても何をしていても、自分と気の合う理想の仲間と出会えるサービスを作りたいと思い、オンラインコワーキングのサービスworkeasyを立ち上げます。workeasyのビジョンは「誰もが未来を描ける世界へ」。今までの人生の延長線上ではなく、人と出会うことによって新しい未来が描けるのだと、workeasyを通じて広く伝えていきたいです。

僕の姉がアメリカにいて、ワシントン大学を卒業してアマゾンに就職して、今は大学で働いているようなエリート街道を歩んでいます。姉とよく話すんですけど、アメリカにはボーダレスなチームがいっぱいあって、仲間内で仕事を発注し合ったりしているそうです。僕はそれをもっとワールドワイドに、知らない人とも出会えるような世界観を構築したいです。

― 具体的にはどんなサービスでしょう?

クリエイターのためのオンラインコワーキングスペースで、そこにログインすれば気の合う仲間がいて交流できる。今はβ版でやっていて、この前はテストとしてイギリスとフランスと日本でつなげました。今年9月ぐらいを目途に正式版をリリースする予定です。

― どうやってビジネスになるんですか?

まだ全く決めていなくて、ロードマップを作るのには時間がかかると思っています。初めにマネタイズを考えると、本当の価値が消える可能性がありますし。今後はデザインソースをリブランディングしてworkeasyと統合し、拡大していきます。資金は銀行とVCから調達もしています。

― 佐治さんはもともと起業したいと思っていたのですか?

30歳ぐらいで、と漠然とは考えていました。僕は人が作った空間には入れないタイプで、だからこそ自分でコミュニティを作ってきました。

― 自分のことをよく分かっていらっしゃいますね。これからも新しいビジネスをいっぱい思いつくんでしょうね。

人間というのは人と出会うことでしか新しい自分を発見できない、というのが僕が17歳のときに見出した結論で、この考えは今も変わっていません。それを実現するためのものを作り続けたい。僕にとってのプロダクトやサービスというのは「願い」で、使う人にどうなってほしいのか、どういう未来を歩んでほしいのかというのが大事なんです。プロダクトを使うユーザーの未来に価値があるわけで、その歩んだ足跡にそっとworkeasyという名前が残っていれば幸せです。

― 起業は面白いですか?

一生やめられないと思います。僕にとって起業は手段であって、自分を表現するものですから。


DATA
会社名:workeasy株式会社
代表者:佐治 浩一郎
事業:ITサービスを始めたい起業家/企業とITプロフェッショナルチームをマッチングするサービス
URL:http://workeasy.jp


Interviewer:村山由香里
Interview Writer:佐々木恵美
Photographer:高巣秀幸 URL https://takasu.love/


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