フリーターや無職の人から1000人のエンジニアをつくる「株式会社フロイデ」

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株式会社フロイデ 代表取締役 吉谷 愛氏プロフィール

福岡県北九州市出身。西南女学院短期大学卒。24歳で一般事務員からプログラマに転職。29歳で結婚退社後、フリーのプログラマとして復職し、36歳でフロイデ(株)の代表取締役に就任。現在はエンジニア育成に力を注ぎ、(株)フロイデール/(株)フロイデギズモ/(株)フロイデカムラックで代表をつとめる。北九州市地方独立行政法人評価委員。学校法人大原学園非常勤講師。認定スクラムマスター。著書「土日でわかるPythonプログラミング教室」など。

福岡、北九州、東京と3つの拠点を持ち、エンジニア70名を抱えるフロイデ株式会社。若者が集まる福岡の都心、天神まで歩いて数分の福岡本社では、ラフなスタイルの男性たちが黙々とパソコンに向かっていた。合計売上高数億円、男性率9割のフロイデを率いるのは、子育て真っ最中の吉谷愛。フリーランスのプログラマーからスタートし、会社を成長させてきた。7月、グループ会社の執行役員兼エグゼクティブエディターに就いたばかりの村山由香里がインタビューした。

どんなシステムを開発しているんですか?


ー男性が多いですね~。オフィスインテリアも黒とガラスですごく男っぽい。ちょい悪オヤジでも出てきそうな感じです。吉谷社長はモノトーンがお好きなんですか?

3年前に、友人の会社が移転する際、居抜きで借りたので、全く私の趣味は入ってないんです。

ーなるほど。それはラッキーでしたね。しかし、若い男性をこんなにたくさん社員にかかえて、女性のトップとしてむずかしいところはありませんか?

女性の方がむずかしいです。村山さんは、女性ばかりの会社で25年もやってこられた。そっちの方がスゴイ。

ーいやいや。まず、フロイデの仕事内容から教えていただけませんか。システム開発って、具体的にはどんなシステムを開発しているんですか?

例えば、スターバックスのwifiシステムを開発しています。売上の8割は東京からの仕事です。

うわあ、そんな大きな仕事をされているんですね。直取引ですか?代理店みたいなのがあるんですか?

直取引も、公衆wifiの会社など間を通しての仕事も、両方あります。いま、社員の半分くらいは、ワイヤ・アンド・ワイヤレスという公衆wifiの会社の仕事をするチームです。以前は、エンジニアを企業に派遣していたのですが5年前に「客先常駐型開発」から「ラボ型開発」に切替えました。

「ラボ型開発」に切り替えた5年前、経営幹部拡充の今年。


ー「客先常駐型開発」? 「ラボ型開発」? むずかしい言葉が出てきましたね。

客先常駐型開発とは、いわゆるエンジニアの派遣です。システム開発をするのに、顧客の会社にエンジニアを1ヶ月いくらで派遣し、先方の開発チームの1人として仕事をするんです。

ー人材派遣会社みたいですね。

そうです。フロイデは派遣会社の資格を持っています。しかしそれではフロイデへの帰属意識も薄れるし、全体像がつかめないパーツみたいな仕事ではモチベーションも上がらないのではないかと思い、思い切って派遣を全てやめたんです。

ーそれは大きな方向転換でしたね。いまあるものをやめる決断はむずかしい経営判断です。新しく切り換えた「ラボ型開発」とは、どんなものですか?

客先にとって必要なスキルを持ったエンジニアを、必要な人数、必要な期間、フロイデ内に開発チームを作るというやり方です。最初に、1人が客先に1、2ヶ月常駐して仕事し、仕組みを作っていきます。そこで納得いただいたら、福岡にチームを作リます。コストの安い海外で開発をすることを「オフショア」と言うのですが、東京でなく地方に開発チームを置くことを「ニアショア」と言います。

ーなるほど。東京より福岡の方が安くできるんですね。エンジニアもスキルさえあれば地方でも最先端の仕事ができるんですね。大きな方向転換をされて、フロイデの売上は上がりましたか?

ラボ型に転換した5年前と比べて、社員数と売上は3倍アップになりました。

ー素晴らしいですね。ところで、営業って、何人いらっしゃるんですか?

営業はいません。

ー提案したり、顧客とやりとりするのは?

私です。

ーこれだけの人数の会社を社長お一人で顧客のフロントに立って仕事をされているんですか?

今年7月に入社した副社長の瀬戸口に客先を譲ってだいぶ楽になりました。この半年で、取締役など経営幹部が続々と入ってきて、いま、すごくいい感じでまわり始めました。今までは、役員は代表取締役の私1人だけで、経営幹部がいなかったのです。全て1人で決めてきました。今年、「吉谷商店」から安定感のある株式会社へ脱皮している真っ最中です。

ー会社が大きく動く大変革の時なんですね。

夢の専業主婦から一転、夫婦2人で無職に!


ーでは、吉谷社長の起業のストーリーについてお聞かせいただきたいです。創業は昭和62年とありますが、これはお父さまの会社を継がれたのですね。

はい。フリーランスで仕事を始めて、取引が増えてきたときに、会社にした方がいいなと思い、父の会社の子会社を名義変更したんです。

ー社歴は長いけれど、今の事業では、吉谷社長が創業者ですね。29歳で結婚して専業主婦になった途端に夫さんが病気になられ、会社を辞められたのが始まりだとお聞きしています。専業主婦時代はどのくらいの期間だったのですか?

結婚式を挙げて新婚旅行から帰って、2週間か3週間たった頃だったと思います。夢いっぱいで結婚したはずなのに、あっという間に夫婦2人で無職になってしまった。「来月の家賃が払えない、どうしよう!」と。両親には頼れなくて、職探しをしました。当時、北九州にいたのですが、既婚女性の職は、介護か夜の仕事くらいしかない。いつ妊娠するかわからないから、一般企業は雇ってもらえないんです。

ーいまから17年前ですね。いまだったら、人事がそんなセリフを言ったら、アウトですね。それで、フリーで仕事を始められたんですね。

2人とも元プログラマーで、夫は過敏性大腸炎だったのですが、自宅だったら仕事はできるというので、「じゃあ、仕事を取ってこよう!」と、求人情報誌のプログラミングの業務委託の欄にかたっぱしから電話しました。行動を起こして1週間で仕事をもらい、2人で開発して1ヶ月で納品。家賃を払うことができました。

無職の友人たちに技術を教えてエンジニアに


ーよかったですね。最初の仕事は、どんな仕事でおいくらくらいだったのですか?

パチンコ屋さんのシステムだったと思います。50万円でした。村山 50万円!大きい!吉谷 はい。あの時の興奮、緊張は、未だに忘れられません。私たちが稼いだんだと思うと叫びたいくらいにうれしかったです。

ー眼に浮かぶようです。その後はけっこう順調だったんですか?

はい。実績があるので、仕事は増えていきました。私と夫だけでは限界があるので、無職やフリーターの知り合いや友人の友人などにプロブラミングを教えて仕事を覚えてもらって広げていきました。

ー綱渡りみたい。創業期の面白さですね。吉谷社長の教え方もきっとうまいんだと思います。

プログラムは、数学と英語のセンスなんです。私は理科系ではないので、素人がどこで引っかかるかわかるんです。技術を覚えて自信をつけていく人たちを見ていると、私もうれしくなります。

ーそこがフロイデの原点なんですね。「フリーターや無職の人から1000人のエンジニアをつくる」というフロイデのミッションは、吉谷社長ご自身 でもあり、教えて技術者になっていかれた仲間たちのことなんですね。最初はご自宅をオフィスにされていたんですか?

はい。だんだん人数も増えていったので、戸畑にある父の工場の2階を借りました。お化けが出そうな古い汚いところで、トイレは詰まる。あそこにソフトウエアハウスがあるなんで誰も思わないようなところです。これです。

ーうわっ!ここで仕事をしていたんですか。この写真、会社に飾った方がいいかも。歴史ですよ。何年くらいこのオフィスにいらしたんですか?

2002年から2010年ころまで10年くらいいました。2006年に、北九州オフィスはここに残して、博多に本社を移転しました。それから2年経ち、社員も20人くらいに増えた2008年、リーマンショックがきたんです。月売上1000万円くらいだったのが半分になってしまって 。

ー…そんなに影響がありましたか。またまた大波ですね!今度はどうやって切り抜けられたんですか?

国の緊急雇用対策で、緊急雇用創出事業が始まって、それでプロブラミング教室を始めたんです。目先のキャッシュがそこで生まれました。

ーあの頃、様々な教室が生まれていましたね。怪しい教室もたくさんありました。しかし、フロイデはちゃんと、教育事業としていまに続いているんですね。補助金目当ての教室ってあまりいい印象がなかったので、私は手をつけなかったんですが、いま考えると、国が支援してくれている時に、「フリーペーパーの作り方」とか「編集教室」とか思いつけばよかったなあ。アヴァンティは、週1回休業や社員研修の補助金で乗り切りました。

でもずっとは続かないと思って、東京に行こうと思ったんです。

ー…??

社長、いきなり東京へ移住


「仕事を取るには東京だ!」と。東京に知り合いもいないし、行ったことも2回くらいしかありませんでした。社員に、「どうやって仕事取るんですか?」と聞かれるけど、「行ってから考える」と。会社は福岡に置いて移住したんです。

ーいきなり、社長だけ移住ですか?

はい。レオパレスを借りました。

ー営業はどうされたんですか?

新橋、飯田橋あたりの高そうなスナックに入って飲んでそこで知り合ったおじさんから名刺をもらったんです。翌日訪ねていくとびっくりされて。その人の知り合いとかを通して仕事をもらったんです。ソフトバンクテクノロジーという大きな会社と取引が始まりました。

ーなんとまあ、すごい体当たり営業ですね。行動力と突破力に脱帽です。

昔だったし、不況だったから。そのおかげで、それまでは、ソフトバンクテクノロジーが発注した会社から仕事をもらうような形だったのが、直接取引をしているので、いままでだったら会ってくれないような会社が会ってくれるようになりました。私たちは、孫請けをどうやって乗り越えるか、なんです。東京で仕事を取って福岡に仕事を流すということを始めました。その後、半年くらいたって東京でも社員を採用して夫も福岡から呼びよせました。いまの仕事の基礎は、東京で作ったんです。

ー吉谷社長は、運命を切り開く人なんですね。社員の檜垣さんが「社長は嗅覚が鋭い」とおっしゃっていましたけど、本当にスゴイ!

檜垣さんは、私が流産は続く、景気も悪くなった時、「しっかりしろ!」と激励してくれた社員です。彼女の夫も戸畑の工場オフィスの頃からいる、無職から私が技術を教えたいまでは優秀なエンジニアです。しかし、いろんなことは起こるもので、それまでずっと不妊治療をしていたのですが、東京に引っ越した途端、妊娠してしまったんです。

ーそれはよかった。でも、ある意味、事件!大変だったでしょう。経営者は育休もありませんから。

大きなお腹を抱えて客先を訪問していました。病室でメールチェック、陣痛が始まった後にもメールチェック。

ー壮絶ですね。社員のみなさんは福岡に残ってがんばってくれていたんですね。

マネージメントはできていたのかどうか。そして、 9年後に妊娠。2人目が生まれて半年後、今度は夫が脳梗塞になって。最初、脳腫瘍かも、余命1年と言われたんです。

ー波乱万丈すぎます!

後遺症は残りましたが、いまもエンジニアの1人としてがんばってくれています。

ー夫さんは役員ではないのですか?

平社員でみんなと一緒にいます。

ーそういうところが潔いですね。吉谷社長も夫さんも。

東京での親子4人暮らしをしばらく続けていたのですが、ベビーシッター代は月20万円。娘の「シッター先生、キライ。ママがいい」の言葉に、 子育ては両親の近くでしたいなあと思い始めました。実家に近い北九州の黒崎に、自宅兼オフィスを構えて、戻ってきたのは2014年です。そして、3年前、上の子どもが小学校に入るタイミングで、家族で福岡に引っ越してきました。博多オフィスを現在の場所に移転するのも一緒に。オフィスも広くなり、社員がどさっと増えてきました。

ー生活環境もオフィスもめまぐるしく変化していたんですね。冒頭、5年前に「ラボ型開発」に変えたのが大きな転換点だったとお聞きしましたが、住居を北九州、東京、北九州、福岡と移しながら考えられた最適な方法だったんでしょうね。

「本物の経営者になろう!」と会社のミッションを打ち出した時


「フリーターや無職の人から1000人のエンジニアをつくる」というミッションを大きく打ち出したのもその頃です。5年前、「本当の経営者になろう、腹括ろう」と思ったんです。

ーそう思われたきっかけはありますか?

社員たちが、いいエンジニアに育っている。私が教えたんじゃなく、お客さまから学びながら自ら育ち、部下を教えている。そんな様子を見て、うれしくて。無職の人が技術を身につけてエンジニアになったら、その人が幸せになるだけでなく、結婚したり、家族ができたり、まわりの人を幸せにできます。無職から1000人のエンジニアになったら、少なくとも恋人やパートナー1人は幸せになれて2000人の人生を変えることができる。家族や友人、そのまわりの人たちの人生に影響するとなると、10000人くらいの人生を変えることができるのではないか。それって、夕張市の人口と同じくらいじゃないか。

ーもともと心の奥に思ってらっしゃる経営の根幹になる思いを言葉にされたんですね。ステキです。

これなら、子どもたちも納得してくれる、親がやってきたことを誇れるんじゃないかと思いました。ミッションを言葉にしたのが2015年です。

ー言葉にすることで何か変わりましたか?吉谷 外の人の見方が変わってきました。村山 メディアにもずいぶん取り上げられましたね。私も新聞を見てアヴァンティの取材を申し込みました。いま、何人くらい達成できているんですか?

200人くらいです。あと、10年で800人増やして1000人を達成したら、私は社長を辞めたい。

ーあら、また爆弾発言!辞めてどうするんですか?

娘と一緒に大学に行きたいんです。もう一度ちゃんと勉強したい。私がやったことは何だったんだろうということを確認したい。

ー何を勉強するんですか?

情報工学、経営学、教育学。

ー社長しながらでも大学に行けますよ。

無理無理!それまでは、もう少し、フロイデファミリーの基礎づくりをします。社員たちが挑戦できる環境を作りたい。家族や大事な人とご飯を食べて季節感を感じながら、お客さまに貢献できて、自分の成長を実感できる。フロイデのバリューを作っていきたい。私自身も、フロイデールやフロイデカムラックなど、新たな事業に目を向けることができたのも、新しい経営陣たちがいるおかけです。もっともっといい会社にしたいと思います。

ーいいですね!女性のエンジニアも育ってほしいですね。

エンジニアは男性が多いけど、男女で優位差はないと思うんですよ。在宅でもできるし、女性に向いている仕事でもあるんですよね。韓国から優秀な女性社員たちも入社してくれ、ダイバーシティな会社づくりも始まっています。

ーこれからが楽しみなフロイデです。今日はエキサイティングなお話をありがとうございました。


DATA
会社名:株式会社フロイデ
代表者:代表取締役社長 吉谷 愛
事業:システム開発、webサービス開発、ゲーム開発
URL:https://froide.co.jp/


Interviewer:村山 由香里
Interview Writer:佐々木 恵美
Photographer:高巣 秀幸 URL https://takasu.love/


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